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日本への伝来


中国から日本へ〜3度の伝来・3種類の茶〜

唐から日本へ  〜遣唐使の伝えた茶〜

お茶のふるさと、中国から日本へと喫茶の風習が初めて伝えられたのは8〜9世紀のことと考えられています。遣唐使として当時の中国(唐)へと渡った留学僧が、寺院で飲まれていた茶を日本へと伝えたもので、この時の茶は、蒸した茶の新芽を付き固めて乾燥し、これを粉末状にして釜で煮て飲む一種の「団茶」だったようです。 『日本後紀』の弘仁6年(815)の条には、嵯峨天皇が近江国(現在の滋賀県)に行幸した際に、僧永忠(えいちゅう)から茶を献じられたことが記されており、これが喫茶の記録としては日本最古のものとされています。さらに嵯峨天皇は、畿内や近江・丹波・播磨などに茶を植えさせ、毎年献上するよう命じたとも記されています。平安時代の茶は、宮廷で行われる法会で僧たちにふるまわれたり、大寺院での儀式でお供えなどに用いられたりしていたことが、史料に残されています。


『茶経』

『茶経』

陸羽著(再版)  入間市博物館蔵
(原書)中国唐時代(760年頃)

唐の時代に世界最初の茶に関する百科全書として詩人の陸羽(りくう)が著した書物。茶の起源・歴史・製茶法・喫茶法・製茶道具・喫茶道具などが体系的に記されています。日本に初めて伝えられた頃の茶は、この茶経に記された茶に近いものだったと考えられます。



宋から日本へ  〜抹茶の広まり〜

二度目の伝来は、鎌倉時代。中国(南宋)で臨済禅を学んで帰国した栄西(えいさい/ようさい)が、当時の南宋で主流となっていた「抹茶」を日本へともたらしたとされています。栄西はまた、茶の薬用効果に注目し、日本で最初の茶書とされる『喫茶養生記』(きっさようじょうき)を著します。栄西は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝(みなもとのさねとも)に、二日酔(ふつかよ)いの薬として抹茶とともにこの書を献上しました。京都栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)や、奈良西大寺の叡尊(えいぞん)など、抹茶の薬用効果は多くの僧たちに受け入れられます。また、禅宗寺院では「茶礼」という喫茶儀礼が中国から取り入れられます。こうして、抹茶は各宗派の寺院と深く結びつき、各地の寺院で「境内茶園」が営まれるようになります。
室町時代になると、庶民のあいだにも抹茶は普及していきました。ひとびとの信仰の場である寺社の門前には、一服一銭の小屋掛けの茶屋が立ち、茶売り人が参詣に来た人を相手に茶を売っていました。また行楽や祭礼などで人が集まるところには、茶道具を荷って売り歩く光景が見られるようになりました。



『喫茶養生記』  明庵栄西著(再治本・再版)

『喫茶養生記』  明庵栄西著(再治本・再版)

入間市博物館蔵  (原書)鎌倉時代・建保2年(1214)
「茶は養生の仙薬なり」の書き出しで始まり、茶を万能薬として推奨する内容となっています。



京都栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)の茶園

京都栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)にある現在の茶園

栄西から贈られた茶の種を高山寺の僧明恵(みょうえ)が山内に植えたと伝えられています。茶産地の広がりに伴って、この栂尾の茶を「本茶(ほんちゃ)」、その他の茶を「非茶(ひちゃ)」と呼び、これを飲当てる遊び「闘茶」(とうちゃ)が流行するようになりました。



小屋掛けの茶屋

小屋掛けの茶屋

寺社などの参道に立ち並んでいた小屋掛けの茶店。桃山時代の絵画(珍皇寺参詣曼荼羅)を元に再現したもの。珍皇寺(ちんのうじ)は京都市内東山の建仁寺の近く。



明から日本へ  〜煎茶の伝来と蒸し製煎茶法の発明〜

三度目の伝来は、江戸時代の初めごろと考えられています。この時に当時の中国(明)から伝えられたのは、鉄の釜の上で茶の新芽を炒って作る「煎茶」でした。煎茶を日本に伝えた人物としてよく知られているのが、承応3年(1654)に渡来し、日本に禅宗の一派黄檗宗(おうばくしゅう)を伝えた中国僧、隠元(いんげん)です。隠元は、当時の中国の文物を数多く日本に伝えたことで知られていますが、この中に、中国の釜炒り製煎茶や、それを飲むための道具「茶缶」(現在でいう急須)も含まれていたのです。
江戸時代中期には、黄檗僧月海元昭(げっかいげんしょう)が禅の精神を実践するため「売茶翁」となって京都市中で煎茶の茶売りを始めました。売茶翁の活動は、当時の知識人たちの共感を呼び、上田秋成(うえだあきなり)や頼山陽(らいさんよう)、田能村竹田(たのむらちくでん)等、江戸時代を代表する文人達の間で、煎茶の文化が花開いていきました。
この頃、売茶翁の茶売りの活動と並行するように、「煎茶」製法改良の試みが成功しました。元文3年(1738)、京都宇治湯屋谷の篤農家、永谷宗円(ながたにそうえん)による「蒸し製煎茶」法の発明です。茶の新芽を蒸した後、揉みながら乾燥させるというこの方法は、これまでにないさわやかな味と香りで、売茶翁もまたこの茶に感銘を受けたといいます。この画期的な煎茶の登場により、煎茶はますます広まっていったのです。



黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)

黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)

隠元が開いた日本黄檗宗の総本山。現在、日本の煎茶道の中心地としての役割も果たしています。



売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)

売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)

享和20年(1735)、60歳をすぎてから京都で煎茶を売る生活を始めました。売茶翁の活動は当時の京都・大坂の知識人・芸術家達に大きな影響を与えました。



永谷宗円(ながたにそうえん)の生家

永谷宗円(ながたにそうえん)の生家
(京都府宇治田原町湯屋谷)

この家の土間には、製茶に使用された焙炉場(ほいろば)が現存しています。日本独自の「蒸し製煎茶」誕生の地ともいえます。