お茶の文化


日本に伝えられたお茶は、しだいに庶民の間に広まる一方で、16世紀には、千利休が茶道(抹茶)という精神文化を完成しました。18世紀になると、煎茶の普及とともに、当時の文化人(文人)たちによって新たな精神文化が生まれ、やがて煎茶道となりました。


茶道(ちゃどう)

茶道は日本人がつくりだした独特の生活文化です。ただお茶の味を楽しむだけでなく、床の間の飾りつけや道具の配置、取合わせを工夫して、美しい空間を演出します。茶室も農家風の素朴なスタイルを洗練させてつくられています。茶室のなかで亭主と客は、ちょっと儀礼的な点前と作法に従ってお茶をたて、飲みます。ふだんの生活では得られない美の体験といえましょう。茶はわび茶とも、ただ単に茶の湯ともいいます。15世紀の後期に活躍した村田珠光(むらたじゅこう)によってはじめられ、武野紹鴎(たけのじょうおう)とその弟子の千利休によって16世紀に完成されました。


二畳の茶室

千利休が考案した二畳の茶室
天正12年(1584)、千利休が大坂城山里丸(やまざとぐるわ)に建てた茶室を入間市博物館の展示室に再現したものです。



茶室の内部

茶室の内部
床の間は利休考案の室床(むろどこ)です。



煎茶道

葉茶を煮出して飲む煎じ茶は古くから庶民の飲みものでしたが、抹茶の陰に隠れて高い文化とはいえませんでした。ところが18世紀に、急須に葉茶をいれて上から湯をそそいで飲む煎茶がはじまって、知識人の間でその清雅な味わいに注目する人々が登場しました。中国風の文化にあこがれる人々の間で煎茶は流行し、道具や煎茶室の造形など大いに洗練され、煎茶道として大成されました。


売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)

煎茶道の祖 「売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)」
九州のひと売茶翁(高遊外、柴山元昭)はその代表的な一人で、しかも黄檗宗(おうばくしゅう)の僧でもありましたから中国の煎茶文化にも知識があって、それを加味しながら独自の煎茶の精神と美をつくりだしました。



煎茶席

煎茶席



色々な茶道具

中国からもたらされた喫茶風習は、やがて日本独自の茶の文化を生み出しました。茶人たちは単に茶を喫するだけでなく、茶の道具によって非日常の美を創りだしました。床飾り・点前道具・会席道具・水屋道具など、一口に茶道具と言ってもたくさんの種類があります。これらの道具には茶人たちの様々な美意識が反映されています。


抹茶道具

茶道を大成した千利休は、使用するさまざまな道具の位置づけをしました。これを現在は、「千家十職(せんけじっしょく)」と呼びます。特に楽茶碗(らくぢゃわん)は、代表的な道具で、利休が楽長次郎(らくちょうじろう)に作らせたものが始まりです。

楽茶碗(らくぢゃわん)


煎茶道具

江戸時代後期の化政文化期から幕末にかけて、明から伝えられた煎茶文化を楽しむサロンが「文人」と呼ばれる趣味人達の間で流行しました。当初、中国風が尊ばれた煎茶道具も、青木木米(あおきもくべい)・田能村竹田(たのむらちくでん)らによって中国写しから段々と独創性のある作品にかわり、風雅な煎茶世界が形成されてきました。


紫釉印花玉取獅子文(むらさきゆういんかたまとりししもん)

青木木米(あおきもくべい)作 紫釉印花玉取獅子文(むらさきゆういんかたまとりししもん)急須(中央)ほか
江戸時代後期の名工、青木木米が製作した急須です。当時の文人たちがあこがれた中国の煎茶道具を模して作られたものも多く、彼らの嗜好がわかります。



田能村竹田(たのむらちくでん)遺愛の煎茶道具揃

田能村竹田(たのむらちくでん)遺愛の煎茶道具揃
江戸時代の代表的な文人、田能村竹田による煎茶道具の取り合わせです。なかでも写真中央のボーフラと涼炉(りょうろ)は、道具の中心をなすものです。