A: チャの木が日本にもともと生えていたかどうかはわかっていません。中国へ行ってお茶に出あった人が持って帰ってきたとも考えられています。山の中にはチャの木が生えていますが、昔のお茶畑のあとや、お茶畑からこぼれたタネからはえた木などが自然に育ったものです。
A: 紅茶も緑茶も、ウーロン茶もどれも同じ、チャの木からつくります。 違いは、つくりかたなのです。ただし、それぞれにあった木があります。緑茶でいうと、「やぶきた」などです。日本でできた紅茶用の木に「べにひかり」があり、これは入間市博物館の庭で見ることができます。狭山茶をつくっている木からも紅茶がつくられ、「狭山紅茶」などといって売られているんですよ。
A: チャの葉っぱをつかわなくても、「お茶」とよばれるものがあります。むぎ茶、ハトムギ茶、こんぶ茶などがそれにあたります。外国にもハーブティー、コカ茶、マテ茶などチャの葉をつかわないお茶があります。チャの葉を使わないお茶のことを「代用茶」(だいようちゃ)と呼んで、区別することもあります。
A: お茶をいれたとき、色がきれいだとおいしそうに見えますよね。みなさんがふだん口にするお茶は色をつけていないと思ってもいいです。ただし色がきれいにでるように粉にしたお茶をまぜたものはあります。
A: 春になって、最初に出てきた新芽でつくったお茶が新茶で、一番茶ともいいます。狭山茶の場合は4月終り頃から5月の初め頃につみ取ります。一番茶は、香りが良く、渋みや苦味が少なくさわやかな味で、うまみがあります。一番茶をつんだ後(40〜50日後ぐらい)に出てきた芽や葉でつくるのが二番茶で、番茶ともいいます。三番茶や四番茶をつくる所もありますが、狭山茶の場合は二番茶までしか作りません。
A: チャの葉を茶工場でお茶にしたばかりの、半製品(はんせいひん)のようなお茶をいいます。このあと、粉や茎をよりわけたり、お茶の葉の大きさをそろえたりしてから、仕上げにもう一度お茶をかわかす「火入れ」をして、商品としてのお茶ができあがります。
A: チャの木の品種(ひんしゅ)の一つです(お米でいえば、「コシヒカリ」のようなもの)。
明治41年、チャの品種の研究をしていた静岡県の杉山彦三郎(すぎやまひこさぶろう)という人が、竹やぶのそばのチャの木を二本選び出しました。一つは竹やぶの南にあったので「藪南(やぶみなみ)」、もう一つは北にあったので「藪北(やぶきた)」と名づけました。このうち「やぶきた」は、育てやすくておいしい茶をつくることができるため、どんどん全国の茶産地に広まっていきました。今では、日本で栽培されるチャの7割以上がやぶきたですが、すべて杉山彦三郎が見つけた「やぶきた」の木からさし木などの方法で増やされたものです。彦三郎が見つけた「やぶきた」の木は、現在静岡県の天然記念物になっています。
A: 煎茶(せんちゃ)をつくるときには、つんだ茶の葉を蒸します。この時の蒸しかげんが、お茶の味をきめる大切なポイントです。深蒸し茶は、それまでのお茶よりも蒸す時間を長くしたもので、渋みや苦味をおさえたおいしいお茶をつくろうと昭和30年ごろ静岡で開発されました。深蒸し茶は、入れた時の色がきれいな緑色になり、濃厚な味で、特に東日本で人気が出ました。特蒸し茶(とくむしちゃ)とも呼ばれます。深蒸し茶は、茶葉が細かいために、それまでの急須では茶こしが詰まってしまいます。そこで、深蒸しのお茶をいれるのに適した急須づくりの工夫がいろいろと行われています。
深蒸し茶用の急須
ステンレスの細かい網目の茶こしがついています。
A: 水で洗うと、ぬれた葉っぱと葉っぱがくっついて、むす時に、むされた所とうまくむされなかった所ができてしまうので、洗ったお茶の葉はかわかさなくてはなりません。そうすると時間もお金もかかってしまうので、ふつうは、摘んだ葉は洗いません。洗わなくても、高い温度の湯気(ゆげ)で虫やバイキンは死んでしまうので、飲んでもだいじょうぶなのです。
A: つみ取られたばかりのチャの葉は、ほうっておくと、皮をむいたリンゴの色が変わるのと同じで、色が変わってきます。緑茶をつくるためにはこの化学変化(かがくへんか)をとめなければなりません。それにはむしたり、いったりすると化学変化をおこさないで緑色のお茶ができるのです。
A: チャの葉っぱの表面は、ロウソクのロウのようなもので守られています。葉っぱの中は細胞(さいぼう)といって、小さな部屋がたくさんあります。それらをもむことで部屋の壁(かべ)をこわすのです。そうすると、お茶を入れたとき、なかみが出てきやすくなります。その細胞のなかみがとけだすことによって、おいしいお茶が出来上がるのです。
A: 茶畑にある扇風機の名前は「防霜(ぼうそう)ファン」といいます。
春になるとお茶の木は新しい芽を出します。この新しい芽はおいしい新茶になるのですが、霜(しも)にとても弱いのです。そこで高さ6mくらいの所にある温かい空気を防霜ファンで送って新芽が凍ってしまわないようにするのです。
A: 埼玉県内でつくられるお茶は「狭山茶」と呼ばれます。この呼び名は、明治時代初め、お茶をアメリカに直輸出するために黒須村(くろすむら/現在の入間市)につくられた「狭山会社」が起源とされています。そして、狭山茶の半分以上は現在でも入間市で生産されています。入間市のとなり(北東)には狭山市(さやまし)があり、「狭山茶」というぐらいだから狭山市が一番の産地だと思う人も多いようですが、実際には、入間市が一番なのです。入間市の南の方には狭山丘陵(さやまきゅうりょう)という丘陵地帯があり、この周辺をもともとは「狭山」と呼びました。この一帯で、江戸時代の終わりごろに茶作りが始められ、現在の狭山茶へと発展してきたのです。
「入間」とは、もっと広い範囲を指す地名で、昭和41年に市ができた時からこの名前を使うようになりました。古くからの地名と、現在の市の名前とが入れ替わったような形になっているために、地名とお茶の名前の逆転が起きてしまったというわけです。
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