いるま歴史ガイド 旧石川組製糸西洋館と周辺の文化財

長泉寺ちょうせんじ

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山門
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本堂

山号光福山、宗派は曹洞宗で本尊は釈迦如来像。甲子様きのえねさまと親しまれ、遠方の人たちからも商売繁盛、家内繁栄の大黒様を安置する寺としてあつく信仰されています。

鉄造不動明王立像(市指定有形文化財)

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その作風から、室町時代の初め頃の作と推定されています。 関東の中世造仏を特色づける鉄仏の作例として貴重なものです。鋳造時のバリや型のずれが少なく、鉄仏としては良好な出来栄えです。明和年間(1764~72)に寺が火災に遭った時に一昼夜火の中にあったと伝わっており、全体に熱を受けた痕や一部剥落したところがあります。金銅仏であれば溶けて原形をとどめなかったことでしょう。

普段は拝観することができません。

長泉寺の境内には、粕谷義三書の「洗心」と彫られた手水鉢があります。また、長泉寺墓地には粕谷義三の墓があります。

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粕谷義三の墓

日本憲政史に名を残す・・・粕谷義三

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粕谷義三(1866~1930)は、大正12年(1923)から昭和2年(1927)まで衆議院議長を勤めた政治家です。義三の政治信条は終始、不偏不党、公平無私を旨とし、憲政史上初めて全会一致で議長に就任しました。

義三は、藤沢村の豪農商、橋本要作・とりの八男八女の長男に生まれ、24歳の時に粕谷家の入り婿となり、姓を粕谷と改名しました。18歳から扇町屋村連合戸長役場筆生、川越の入間郡役所御用掛を勤め、一方で、社会変革を標榜して自由民権運動に傾倒しました。明治19年(1886)19歳の時、民権活動家の盟友福田友作らの誘いを受けて米国留学を志して渡米、サンフランシスコでの2年余りの大学入学準備を経て、ミシガン大学法律学部3年次編入学試験に合格して、政治学や財政経済学を学びました。また、民権派留学生達と邦字新聞の編集発行などを通じて、日本社会の改革を主張しました。同23年、24歳で帰国して、板垣退助らの自由新聞社の主筆として活躍しました。のち新聞社は内部の対立で廃刊して帰郷、同25年、政界への足掛かりとして26歳の若さで県会議員に初当選し、以後4回当選を重ねました。任期中の同29年には副議長に就任しました。県会議員時代は特に教育の振興に力を注ぎ、現川越高校や春日部高校の設置実現に貢献しました。同31年、31歳で衆議院議員となり、以後、苦杯を喫することもありましたが、12回の当選しました。大正9年(1920)、53歳の時に副議長、同12年議長に就任し、以後4年務めました。議長の就任に際しては、議会運営の公平を期するために党籍を離脱しています。

能書家としても知られ、恩師島村孝司から贈られた「竹堂」を号して、多くの揮毫をしています。市内には義三の碑文や筆跡が多く残されています。

長泉寺

所在地
入間市豊岡2-2-8
アクセス
入間市駅から徒歩15分
西武バス「奈賀町」バス停からすぐ
見学
境内からの拝観
60日ごとにある甲子きのえねの日には大黒様の縁日が行われます。特に年初めと納めの甲子の日はにぎやかです
連絡先
長泉寺
04-2962-2306
このページに関するお問い合せ
入間市博物館
04-2934-7711

案内図

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