いるま歴史ガイド 旧石川組製糸西洋館と周辺の文化財

寺跡 根本山ほか

根本山ねもとさん

霞川のほとりにあり、「根本山」の名で親しまれていたお寺です。昭和57年に廃寺となりました。冬至の星祭の写真が残っています。星祭には石川組製糸の女工たちも参詣したそうです。

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根本山
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根本山の星祭の様子。
写真に見える寺標は蓮花院に移されています

古くは室町時代に新田義貞が祈願したとも伝わり、12月の星祭(冬至祭)で有名で、関東だけでなく東北からも参拝者が集まったと言われます。修験道を修めた三光院亮元が再建し、江戸時代の嘉永2年(1849)には旗本稲富氏から認可を得ています。

明治5年の修験道廃止令により危機を迎えますが、信徒が多かったことから内々に存続し、明治12年の調査で明るみに出たため、天台宗の寺院になりました。

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現在の寿昌寺観音堂(入間市二本木)
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根本山と書かれた徳利。
廃寺になった際に博物館へ収蔵されました

ここにあった観音堂は、元は狭山市笹井にあり笹井観音堂と呼ばれており、文政5年(1822)に再建されたものです。明治年間に根本山に移築されましたが、廃寺になったため、昭和58年に入間市二本木にある寿昌寺に移築され、現在も観音堂として使われています。

大行寺だいぎょうじ

大行寺は江戸時代後半、旧黒須村の現在の黒須公民館の裏の位置にあったお寺です。蓮華院一門の寺で、寺の山号は覚王山で大日如来を本尊としていました。草葺のお堂がありましたが明治時代に廃寺となり、跡地(黒須公民館の南側)に墓地が残されています。ここには、繁田家代々のお墓があります。

繁田家についてはこちらをご覧ください。

馬頭坂ばとうざか

馬頭坂は霞川から段丘崖(昔の川岸であった崖)の坂を上っていき、川越へ向かう道でした。昭和12年(1937)に豊岡陸軍航空士官学校(現入間基地)の用地買収によって道は途中で途絶えてしまいました。坂の途中には3基の石造の馬頭観音がたち、このうちの1基は刻まれている道案内の内容から坂の上の新河岸への道と川越への道の交差点から移されたと思われます。いずれも造立は江戸時代のものです。更にこの坂の上に道路改修の「紀念碑」がたっています。この碑に道の改修の状況、竣工が明治45年(1912)3月で、石川民三(石川幾太郎の長男)ほか7人の発起人の名、寄付・補助金額、寄付人数等が刻まれています。

その後、市の区画整理事業によって平成25年に現在の馬頭坂は整備されました。

根本山

所在地
入間市河原町6-12辺り
アクセス
入間市駅から徒歩6分
案内図

大行寺跡

所在地
市立黒須公民館(入間市黒須2-3-13)の北側
アクセス
入間市駅から徒歩12分
案内図

馬頭坂

所在地
交差点「黒須一丁目」(入間市黒須1丁目7)南東の坂
アクセス
入間市駅から徒歩8分
見学
道路のため、いつでも見られます
案内図
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04-2934-7711
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