日本各地の茶
更新日:2020年10月23日
「日常茶飯」と言われるように、私たち日本人にとって、お茶はたいへん身近な存在です。
しかし一口に「お茶」といっても、その内容は多種多様です。
日本各地には、さまざまなお茶の作り方や、珍しい喫茶習慣が伝えられています。
お茶の作り方
現在、日本で主流となっているのは江戸時代に日本で発明された「蒸し製煎茶法」です。
しかし、このほかにもさまざまなお茶の作り方が全国各地に伝えられています。
こうしたお茶の作り方は、「蒸し製煎茶法」が普及する以前の古い方法だと考えられています。
釜炒り茶(かまいりちゃ)の作り方-嬉野式(うれしのしき)釜炒り茶-
中国から伝えられた製茶方法。竃(かまど)に釜をすえ、摘み取った茶の新芽を掻き混ぜるように炒ります。
炒った茶葉はムシロに広げ、手で揉みます。
これを数回繰り返して乾燥させてできあがりです。
釜炒り茶は独特の香ばしい味がします。
形も勾玉(まがたま)のように丸みをおびています。
一般的に釜は水平に設置して炒りますが、佐賀県嬉野市周辺では約45度の角度に据えた傾斜式の釜炒り茶です。
傾斜釜で茶葉を炒る
碁石茶(ごいしちゃ)の作り方
高知県の山間部で作られている後発酵茶の一種。
7月中旬ころに枝ごと茶葉を刈り取り、日陰干しをしてから桶で蒸します。
5日間ほど室のなかに置いて発酵したものを大きな桶に詰め、蒸し汁をかけてから重圧を加えます。
10日間ほど置いて、固まったものを約3センチメートル角に切って天日乾燥すると、少し酸味のある茶のできあがりです。
碁石茶を天日乾燥する
阿波番茶(あわばんちゃ)の作り方
徳島県の山間部で作られている後発酵茶の一種。
基本的な製茶方法は碁石茶に似ています。
大きく違う点は、生葉を大釜で蒸した後に揉んでから、すぐに桶に漬けこむことです。
10日間ほど桶で発酵させたものをムシロに広げ、手でほぐして天日乾燥します。
乾燥した後は、扇風機を使って葉と枝を選別するとできあがりです。
釜で茶葉を蒸す
豆入り番茶(まめいりばんちゃ)の作り方
福井県三国地方で飲まれている茶。
現在は機械製法で、蒸し製の下級荒茶と皮がはじけるまで炒った乾燥大豆を混ぜて作ります。
昔の製法は刈り取った二番茶を平釜でゆで、足で揉んだりしながら天日乾燥します。
それを細かく切って俵に入れて屋根裏部屋に保存します。
飲むときには、天日乾燥した豆を平釜で炒ったものと混ぜ合わせて飲みました。
茶葉と炒った豆を混ぜる
喫茶の習慣
現在主流となっている蒸し製の煎茶が普及する以前には、各地で特色のある茶が作られ、飲まれてきました。
なかでも煮出した番茶などを、抹茶をたてるように茶せんを使って泡立てて飲む「振り茶」と呼ばれる風習は、かなり広い地域で行われていたようです。
現在では、日常的に「振り茶」の風習が続けられている場所は少なくなっていますが、お茶の古い飲み方の名残と考えられています。
那覇(なは)のブクブク茶-沖縄県那覇市-
ブクブク茶は那覇で行われた喫茶習慣です。
沖縄は古くから東シナ海交易の中継地として栄え、各地の文物が伝えられました。
特に茶道は、江戸時代になると、琉球王府の役人になるための必須条件として定められました。
そして琉球の男性の間では、さまざまな芸ごとが盛んに行われるようになりました。
このような風土の中で江戸時代の中ごろ、那覇の役人の家庭の婦人たちが、茶道に代わる楽しみとしてブクブク茶を考案したと言われています。
明治時代には一般に普及し、会合の席や、船出した人の航海の安全を祈って飲まれるようになりました。
戦前までは、劇場や市場にブクブク茶を売りに来る人もいたそうです。
戦後はしだいに廃れてしまいましたが、現在、地元の有志によって再現され注目されています。
山陰のボテボテ茶-島根県松江市(まつえし)周辺・鳥取県境港市(さかいみなとし)-
この地方では、ハシマ(食事と食事の間)にボテボテ茶が飲まれていました。
松江市の周辺で、田植えや草取りそして秋祭りなど、村の行事の際にお互い招きあったり、正月中は客の接待で忙しい女性たちが、一段落した15日ごろに集まって楽しむ女正月の席でもボテボテ茶が飲まれていました。
また境港市では、弘法大師のお祭りや毎月の「お大師さん講」のときに飲まれていました。
現在は、観光客相手の店や老人たちの集まりの席などで飲まれています。
蛭谷(びるだん)のバタバタ茶-富山県朝日町(あさひまち)-
バタバタ茶は朝日町の山間部、蛭谷に残る喫茶習慣です。
浄土真宗の信仰が厚い蛭谷では、先祖の命日や出産、成人などの祝いの席でバタバタ茶が飲まれていました。
特に親鸞上人の命日に当たる毎月28日の「お待受」に、順番で宿を決めて集まり、このお茶を飲んでいたそうです。
かつて耕地が少なく、男性が炭焼きや出稼ぎに出て家を空けることの多かった蛭谷では、しばしば家を守る女性たちの間で茶会が行われていました。
それは女性達が互いに助け合い、情報交換をする大切な場でした。
現在も続けられているこの茶会は、年配の女性達の楽しい交流の場となっています。
中曽司(なかぞし)の振茶-奈良県橿原市(かしはらし)中曽司-
環壕集落であった中曽司だけに伝わる喫茶習慣です。
地元で「茶」といえば、この振茶のことをさします。
周りを壕に囲まれたこの集落は、昔から共同体としての意識が強く、集落の人達がたくさん集まって頻繁に茶が飲まれていました。
特に春と秋の大茶とよばれる行事でも、この茶が飲まれました。
現在は集落の戸数も増え、茶会も出産のお祝いや冠婚葬祭のときに、近所の人達や親戚だけを呼んで行うように変化してきました。