2階ホール
階段を上がると創建当時のシャンデリアが美しく照らしてくれます。建物全体によく見られる条線紋が使われています。華美でなく上品なシャンデリアは西洋館のコンセプトを表しているようです。
置いてあるソファーは、引き出すとベッドにもなる仕組みで、3台中の1台は創建当初のものです。手すりの所に階段下にある椅子と同様の雷紋が見られます。前からは見えませんが、ソファーベッドには米軍に接収された時のタグが付いており、家具は全てタグを付けて管理され、戦後に返還されたことが分かります。
和室
本館の2階には、二間続きの和室が作られています。
戦後、進駐軍に接収され、3世帯の将校の住居となった際には畳を外して板敷きの洋室として使用され、このときに床の間はクローゼットに改造されてしまいました。また、2階ホールへ出るために和室には不似合いな洋風のドアが取り付けられました。
その後、昭和33年(1958)には石川家に返還され、畳を敷いた和室に戻され、クローゼットは床の間に戻されました。現在の床の間の柱にも改造の跡が見られます。
二間の間にある欄間は、川越の彫刻師・野本民之助義明(1892-1928)により江戸時代の絵師酒井抱一の流水文を写して彫られたものです。義明の技量は高く、立体的な透かし彫りの作品を多く作っていますが、この欄間は絵を写したもので、平面的なものとなっています。
和室の周りにはぐるりと廊下があり、多くの窓があります。廊下には薄縁(畳表を使った薄い敷物)を敷いてある部分があり、不思議な廊下になっています。板部分は市松模様の組木細工です。
大広間、ベランダ
天井は、周囲を折り上げた格天井です。 床は、組木細工により雷紋が周囲を囲んでいます。内側の床はコルクでできています。舞踏会をしても1階に音が響きにくいように考えたものでしょうか。
ステンドグラス
入って左手にはステンドグラスが作りつけられています。ステンドグラスの裏側は本館1階の廊下や別館につながる階段になっています。料理を運ぶのに使ったものかもしれません。階段の窓から入る光が通り、ステンドグラスを美しく見せています。
ステンドグラスの題材は、中国の東洋画の画材とされる「四君子(蘭・竹・菊・梅)」を基本としています。左から「蘭」「梅」「竹」ときて、右端は菊ではなく「茶の花と実」をイメージしたものに見えます。当地方の特産狭山茶を意識しているのか、石川家が製糸業のほか、製茶業もしていたことが関係しているのでしょうか。
作者は東京玲光社の三崎彌三郎と推定されます。三崎は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)を卒業後、家具等の装飾設計に携わり、大正11年(1922)に「東京玲光社」を設立しています。代表作には国立科学博物館中央階段のグラスモザイクなどがあります。
ベランダは、戦後進駐軍に接収された際にキッチンに改造され、水道とガラス窓が取り付けられました。
ベランダの壁は、1階テラスと同様に白いタイル貼りです。
進駐軍の家族が使っていた冷蔵庫が残されていました。現在は博物館に収蔵されています。
カーテンボックスの布は創建当時のものです。全て違う種類の花の柄が刺繍されています。ここにかかっていたカーテンは、残念ながら行方不明です。
貴賓室
西洋館に招いた米国人商人が宿泊した部屋で、各部屋のなかでも最も贅を尽した作りになっています。創建当初の壁紙が残る貴重な部屋です。傷みが激しいため、公開を控えています。
天井は、絹布に金泥・銀泥で雲を描き、その周りに小組の格天井を配しています。また、出組組物(肘木・斗・実肘木)を設けたり、方立に屈輪の浮彫を刻み込むなど、西洋建築に寺院風の造形を取り入れるなど工夫を凝らしています。
壁は、今日では珍しいものとなった絹の布団張り(綿を挟んだ壁紙)です。床には他の部屋と同様に寄せ木細工が用いられています。
バス・トイレ
戦後進駐軍が接収していた際に使っていたバス・トイレです。貴賓室につながるドアをふさぐ形で改修しています。当初の部屋の使い道はわかっていません。
裏階段・厨房
大広間のステンドグラスの裏の階段です。
厨房は進駐軍に接収された際に厨房と風呂場に改造されたようです。以前の使い方はわかっていません。
参考文献
入間市博物館アリットや市役所でお買い求めいただけます。在庫切れの場合もありますのでお問合せ下さい。
- 入間市博物館紀要第9号
- 特別展図録 石川組製糸ものがたり