
西洋館本館は2階建て、別館は平屋建てです。外壁は本館、別館ともに同じ煉瓦調の化粧タイルを貼っており、まるでレンガ造りのように見えますが、木造建築です。
本館
迎賓館として建てられた本館は、非常に天井が高く、広々とした間取りにつくられています。
正面中央に入母屋屋根の玄関ポーチを設け、この部分は和風意匠が取り入れられています。1階には、応接室から出られるテラスと、食堂・控えの間から出られるテラスの2つがあります。2階には大広間から出られるベランダが付いていましたが、戦後の進駐軍によりキッチンに改造されています。外壁は茶色の煉瓦調タイルですが、テラスやベランダの内側は白いタイルが貼られています。正面向かって右側に1、2階通しの出窓(カントベイウインドー)があり、建物の外観を特徴づけています。
屋根は、元はスレート(板状の石材)葺きでしたが、青い洋瓦葺きに葺き替えられています。平成29年度に青い洋瓦葺のまま葺き直しを行いました。
屋根は棟と谷の入り組んだ複雑な形をしており、アイブロウと呼ばれる半円形の小窓が7か所に付けられています。
西洋館の南面には、並んだたくさんの窓と1階のベランダ、2階の改造されたベランダが見えます。屋根にちょこんと見えるのはアイブロウです。
西洋館西側の面には、縦長の大きな窓やテラスが見えます。ベランダの分、2階は張り出しています。
屋根の形や大小の窓やテラスなどの組み合わせが西洋館の独特な外観を作り出しています。
建物に合わせた特注の調度品
西洋館は、部屋ごとに天井と照明器具、床周りの模様が異なっている点に特徴があります。
床の組細工の模様をよく見ると、仕事の細かさに驚かされます。
また、建物と調度品に共通の模様が使われています。
この他にも、探してみるとまだまだ新しい発見があります。それが何を意味しているのか、分からないことばかりです。共通の模様といった調度品等のデザインの特徴をみつけ、製作者の意図を考えてみるのも西洋館の楽しみ方と言えるのではないでしょうか。
進駐軍接収時に受けた改造
西洋館は、戦後、進駐軍に接収されいくつかの改造を受けています。近くにあったジョンソン基地の将校や軍医など3家族が西洋館の本館と別館を区切って住んでいました。それぞれの家族のキッチンやバス・トイレを作り、またお互いのプライバシーを守って生活できるように、壁やドア等を新たに作りました。石川家に返還されてから元に戻した部分もありますが、今もそのままになっているドア等が見られます。
接収時の話を聞くと、石川家に家賃は払ってくれており、初めに家具のひとつひとつにタグを付けて管理し、基本的にしっかりと返してくれたといいます。大広間のカーテンやタペストリーなど、持っていかれたと見られる物もあります。アメリカ人の子どもと遊んだり、お茶に招かれお菓子をもらったりしていたそうです。
アメリカでは家に白いペンキを塗る文化があり、西洋館の木目を活かした窓枠も外側は塗られてしまいました。せめて窓枠の内側は塗らないでくれとお願いしたそうです。改修に伴い、窓枠の白いペンキは平成29年の改修の際にていねいに落として元の状態に戻しました。
各部屋の見どころページで改造を受けた部分について説明があります。
別館
別館は本館とつながっています。外壁は本館と同じタイルが使われています。屋根は本館が洋瓦なのに対し別館は日本の瓦です。地元の名産として知られた小谷田瓦が使われており、鬼瓦は石川家の家紋である「丸に笹竜胆」をモチーフとしています。
別館は何度か改修をしながら使われてきており、間取りも当初の原型をとどめていません。当初は、裏方の機能が強く、広い土間で料理をしていたと思われます。別館の裏に大きな煙突がありますが、どこにつながっているのか、何に使われていたのかは不明です。
昭和17年(1942)頃に石川家により大規模に改造しています。水屋と茶事ができる和室が作られ、茶室と住環境の機能へと変化しました。さらに、戦後の進駐軍の接収により「住」の機能が強まりました。本館からつながっていた廊下には洗濯室を作っていました。
別館は設計図が残っていないため、元の状態がわからず復元することができません。入間市では、別館を西洋館の活用に使えるよう、平成29年度にキッチンの改修や来館者のためのトイレの設置を行いました。また、洗濯室を廊下に復元しました。
参考文献
入間市博物館アリットや市役所でお買い求めいただけます。在庫切れの場合もありますのでお問合せ下さい。
- 入間市博物館紀要第9号
- 特別展図録 石川組製糸ものがたり