いるま歴史ガイド 旧石川組製糸西洋館と周辺の文化財

石川組の工場や出張所

石川組の主要な工場は全国に9つありました。小規模から手堅く始めた事業ではありましたが、家族一同の頑張りや的確な情報入手と時宜を得た経営により順調に業績を拡大させ、明治末には本店(黒須)・新家(鍵山)・川越の3工場を展開させるに至りました。大正年間には入間川・扇町屋および福島県原町・愛知県豊橋・三重県関町と次々に工場を展開し、蚕種製造や改良、乾燥場の増設等の周辺事業整備にも怠りなく取り組みました。こうして大正11年(1922)から翌12年前半には業績も最高潮に達したものと思われます。

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工場位置図

本店工場(第一工場)

明治26年に小規模に発足し、翌年に機械製糸場に転換。石川組製糸の中核工場として活動し、およそ1万坪の敷地に最盛期には約1200人が働いていました。現在、工場跡地はUR入間黒須団地の敷地となっています。

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大正5年の本店工場を描いた油絵

正面に見える門への道が西洋館の南側の道につながっていました。

平成29年のアリット特別展「石川組製糸ものがたり」では、本店工場の昭和初期の頃を復元した模型が作られました。

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模型から分かるのは、非常に広い敷地に多くの建物が建っていたということ。工場建物や倉庫のほか、女工さんが暮らす建物や医務室、休憩時間を過ごすテニスコートや芝生広場、池もありました。1200人の従業員が繭から生糸を取り、外国へと輸出される品質の良い製品を作り出している様子が目に浮かぶようです。

模型 講堂
模型 講堂

本店工場の事務所建物は現存します。移築され、現在は石川洋行事務所として使われています。

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本店の再繰工場内で働く女工たちの様子
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本店工場の煙突(石川三郎氏提供)
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大正14年(1925)頃、馬頭坂から見た本店工場
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本店工場を描いた絵葉書

大正時代の石川組の電話番号は豊岡三番でした。

ちなみに一番は郵便局。二番は当時の町長繁田氏宅でした。石川洋行の「楽蔵」(元繭蔵)には、本店の電話室の扉が使用され、残っています。

新家工場(第二工場)

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新屋工場を描いた絵葉書
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工場裏手の高台から見た新家工場。
奥の町並みは黒須の家々で、その向こうが入間川
(川越市立博物館所蔵)

明治34年(1901)に開業した石川組の第二工場で、現在の入間市鍵山一丁目にありました。幾太郎の弟(四男)龍蔵が独立して新しく家を建て、経営にあたったことから「新家しんや」と呼ばれました。龍蔵は石川組製糸創業時から幾太郎の右腕として経営を支えており、工場の開業や経営拡大、生糸の取引等様々な分野で指揮を取りました。

川越工場(第三工場)

明治41年に川越御法川みのりかわ工場を買収し、第三工場として操業を開始しました。現在の川越市立図書館の場所にありました。棟札がみつかっており、棟梁の名に関根松五郎とあります。西洋館を建てた大工関根平蔵の父の名です。また、平蔵自身も携わっていました。

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西洋館に飾られている川越工場を描いた油絵。
大正5年に描かれました
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川越工場を描いた絵葉書。
手前に建つ洋風の建物は工場の事務所
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絵葉書より少し東側から川越工場を撮影した写真
(川越市立博物館所蔵)
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「煙突改築記念撮影」昭和10年(1935)撮影。
川越工場内に建つ鉄製煙突の建て替え工事の様子
(川越市立博物館所蔵)
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川越工場に勅使海江田侍従を迎えて

入間川工場(第四工場)

大正4年(1915)、入間川町(現狭山市)子の神に石川組製糸の第四工場として購入・開設されました。石川組の中では比較的小規模な工場でしたが、繰糸工場2棟・再繰工場1棟・寄宿舎・食堂の他医務室(病室)も備えています。この入間川工場は、当時の様子を伝える実物・写真等がほとんど見つかっておらず、今後の発見が待たれます。

扇町屋工場(第五工場)

大正4年(1915)に豊岡町扇町屋にあった滝沢製糸所を譲り受け改修し開業したと思われます。通称「五工場(ごこうば)」。霞川沿いの段丘崖から湧く清水を利用していました。

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「五工場」の元になった滝沢製糸所(明治期)
(滝沢文夫氏提供)

原町工場(磐城石川組)

石川組製糸県外進出の端緒となった工場で、福島県相馬郡原町(現南相馬市)にありました。通称原ノ町工場。近隣には、「相馬の野馬追」が開催される雲雀ヶ原があります。優良な生糸を生産し、石川組の中核工場の一つとなりました。

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各工場絵葉書より「原町工場全景」。
黒煙を吐く高い煙突は原町のシンボルでした
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原町絵葉書(登坂宏氏所蔵)

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原町工場内で働く女工たちの
作業風景を写した写真の絵葉書

豊橋工場(三州石川組)

蚕都とよばれ、長野県岡谷に次ぐ製糸の町だった愛知県豊橋市にあり、大正7年(1918)に購入された工場です。

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各工場絵葉書より「豊橋工場」
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石川孝司氏提供

中村工場(伊勢工場)

三重県の関町(現在の亀山市)に、明治27年(1894)に発足した中村製糸場が、大正10年(1921)に石川組中村製糸所となりました。工場主中村安吉の妻は、龍蔵(新家)の二女愛です。

新所町(明神)にあり、豊富で良質な湧水を利用していました。最盛期には釜数334、従業員700名を数え、県下有数の製糸工場となりました。

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各工場絵葉書より「中村工場」

筑前石川組・博多出張所

筑前石川組は福岡県糟屋郡席内村(現在の古賀市)にあった工場です。繰糸工場としての実態は久しく解明がなされなかった工場でしたが、最近貴重な史料が提供され、昭和5,6年頃の状況が徐々にわかってきました。

しかし、この頃の石川組は地方工場の整理を始めざるを得ない状況に陥っており、この工場がその後どうなったのかはわかっていません。

その他の部署

石川組は10カ所の製糸工場の他にも、川越に玉糸工場などがありましたが、養蚕部以外は断片的な情報しかありません。

大正14年『電信暗号簿』によると、乾燥所は九州から岩手まで12カ所、出張所や購繭所は、全国150カ所にあったことがわかります 。

その他、運搬のための輸送部、工場で食べる食料自給のための、農部、牛乳部、醤油部などもありました。

名前が挙がっている部署

東京池袋事務所(小石川)、出張所(甲府・福岡・竹下)、繭乾燥所(島原・古賀・来民・一ノ宮・国府津・吉尾・成東・横芝・佐貫・大船渡・宮古・大槌)ほか、繭買入れ所


参考文献

入間市博物館アリットや市役所でお買い求めいただけます。在庫切れの場合もありますのでお問合せ下さい。

  • 入間市博物館紀要第9号
  • 特別展図録 石川組製糸ものがたり

旧石川組製糸西洋館

所在地
入間市河原町13-13
アクセス
西武池袋線入間市駅北口から徒歩約7分
※入間市駅北口を出てつきあたりを左に進み、道なりに坂を下ると見えてきます。
見学
イベントや公開日の日程は公式Facebookページをご覧ください
お問い合わせ
入間市博物館アリット
04-2934-7711
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案内図

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