室岡惣七(1885~1951)
東京帝国大学(現在の東京大学)で西洋建築を学び、数々の建物の設計に携りました。川島町の旧遠山家住宅(遠山記念館)が代表作として知られています。大学を大正2年(1913)に卒業後、司法省技師・東京電灯技師を経て、昭和2年(1927)に室岡工務所を設立しました。西洋館の設計当時はまだ個人の設計事務所を持っていませんでした。おそらく近隣の堀兼村(現狭山市)出身の室岡に対して、同郷のよしみで名を成さしめさせてあげようと、幾太郎が抜擢したのではないでしょうか。西洋館は完成後の幾たびの大地震にも全く揺らぐことがありません。建物の意匠だけでなく、堅牢な構造は室岡の設計の賜物です。
関根平蔵
川越出身の宮大工で、屋号は「丸鉢(丸八)」といいます。祖父・八五郎、父・松五郎も大工で、とくに松五郎は川越の「石川組製糸本店工場の講堂」や「時の鐘」の建築に棟梁として携わっています。
平蔵自身は、川越まつりの山車のひとつ、幸町の「翁の山車」の改修に腕を振うともに、神社建築から町屋建築まで幅広く手掛けるなど優秀な大工であったことが知られます。
川越に残る平蔵の洋風建築の家には、西洋館と同じ煉瓦調のタイルが使われています。これは西洋館の建築で余った資材を貰ったとのことです。
西洋館の棟札

この棟札は、西洋館の上棟の際に作られたものです。
表側には石川組製糸の創始者「石川幾太郎」、設計者「室岡惣七」、建設に携わった「関根平蔵」らの名前と、上棟式の行われた「大正十年七月七日」の日付が記されています。
裏側には日本の棟札では珍しく聖書の聖句が二つ記されており、石川一族がキリスト教を篤く信仰していたことが分かります。
裏側の聖句【原文】
願わくは汝の目を夜昼此家の上に開きたまへ 僕か此処にて祈らむ祈祷を聴きたまへ
歴代志下六章二〇節セルバベルの手 この室を石礎を置けり 彼の手これを成し終む
サカリヤ書四章九節
棟札は元は天井裏に括り付けられていました。左官や鳶職、建具や木挽など、携わった職人の名前が書かれています。中には煉瓦職人の名前もありますが、前述の通り、西洋館の壁はタイルであり、煉瓦でできているわけではありません。では、煉瓦はどこに使われているのか?実は建物の基礎に煉瓦が使われているのです。
参考文献
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- 入間市博物館紀要第9号
- 特別展図録 石川組製糸ものがたり