蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい真言宗智山派の寺院です。創建は建仁元年(1201)で、寂連法師による開基と伝わっています。
蓮花院観音堂 付 勧進帳 市指定有形文化財(建造物)
蓮花院観音堂は記録によれば天保6年(1835)に再建されたもので、総けやき、寄棟造りの建造物です。随所に彫刻が施されています。前面1間幅を外陣とし、その奥を内陣とします。当初、外陣は吹き放し(壁のない柱間)でした。外陣の天井は鏡天井で、吉川緑峰筆の龍が描かれています。緑峰は入間市宮寺の出身で吉川温恭の子です。
内陣は格天井で、格間165枚に江野梅青の筆になる花鳥の色彩絵が描かれています。それぞれに寄進した地元・黒須地区の人々の名が150余人墨書されています。
また、この堂の再建にあたり作成された勧進帳には、繁田武兵衛、水村甚左衛門など地元の寄進者の名前が多数記されています。地元住民の寄進によって、この堂の造営が成されたことがわかります。
木造千手観音菩薩立像 市指定有形文化財(彫刻)
この仏像は、蓮花院観音堂の本尊で、カヤ材の割矧ぎ造、頂上仏面に十一個の変化面をそなえ、中央の合掌手と宝鉢手に脇手三十八手を加えて四十二臂を数える千手観音菩薩像です。
像内にある木札に、天文16年(1547)、前年焼失した本尊を、根岸(現狭山市)光明院の法印覚重が願主になり、鎌倉仏師長慶が再興した旨が記されています。長慶はときがわ町にある慈光寺本尊の千手観音菩薩像も制作していますが、残っているのは頭部のみで体部は後補です。頭部体部ともに一体で残るこの像は、この頃の鎌倉仏師の活動ぶりと作風を知る上でも貴重な遺例です。
蓮花院の鰐口 市指定有形文化財(工芸品)
寛正2年(1461)の銘をもつこの鰐口は、直径38cmの重量感にあふれた作品です。もと比企郡千手堂に納められたものですが、蓮花院伝来の理由は定かでありません。
鰐口は左右の「耳」と呼ばれる部分の角度に時代の特徴が現れます。蓮花院の鰐口の耳は真横を向いており、江戸時代の鰐口の特徴が出ています。
千日回向名号塔 市指定有形民俗文化財
阿弥陀如来の功徳をたたえる「南無阿弥陀仏」の六文字を刻んだ塔を「名号塔」と呼びます。これは、正面と左右側面の3面にそれぞれ「南無阿彌陀佛」と刻まれた、市内では唯一の名号塔です。
正面に「千日回向所」、正面と左右側面に総勢約50人の名前が彫られていることから、これらの人々が死者の冥福や自らの極楽往生を願って千日間の念仏供養を行い、その満願成就を記念して、延宝9年(1681)に造立したことが分かります。左右側面に刻まれた村々の名前やその人数は、念仏供養や造立に何らかの形で関係したものと考えられます。村々は市内に限らず現在の狭山市や飯能市、日高市の一部に広がっていて、当時の念仏信仰の様子が分かる資料として貴重です。
なお、石工の名前が彫られている石造物としては市内だけではなく近隣の市町の中でも最古のものになります。