新道の家は、幾太郎の妹であり石川組の女工総監督を務めた石川つめ(1875~1940)の住宅として建てられました。幾太郎の親の隠居所も付属していました。建てられた正確な年は不明ですが、大正時代に建てられたものと伝わっています。童話の世界に出てくるような、かわいらしい洋風建築です。つめは、背丈が小柄なためか、ドアノブも低い位置に付けられています。
歌人の石川信雄も福島県原ノ町工場を経営する父から離れて一時隣に住んでいたことがあります。
つめは周囲の皆から親しみを込めて愛称の「あーちゃん」と呼ばれていました。狭山市の入間川、川越に続く新道に面していたので、住居は「新道の家」、つめは「新道のあーちゃん」と呼ばれました。あーちゃんは聡明でやさしく、いつも微笑みを絶やさない、ふっくらとした婦人であったといいます。女工たちのよい相談相手であり、慕われていた様子が小説「大地の園」にも描かれています。女工たち、社長の幾太郎からも深い信頼を得ていたと「石川家の人々」では振り返っています。
「新道の家」は、現在も住居として使われており、隣では洋菓子屋さんをやっています。